入部してから2度、フランスのモンブランへ挑戦したが、いずれも天候不良などで登頂は果たせなかった。今回、S前部長が友人Oと2人で登るということだったので、Hも便乗させてもらうことにして、3度目の挑戦、ついに登頂を果たした。
Hは長めの休暇を取得し、前半スイスの山を登ていたので、フランス・シャモニーの観光案内所前の広場で、S前部長たちと待ち合わせということになった。
Hはスイスのツェルマットから半日かけて鉄道で移動し、待ち合わせ場所へは2時間ほど早めについたので、毎回保険の加入をしていた教会脇の登山情報センターがある建物へ訪ねてモンブラン登山の情報収集することにした。
センターの職員に聞くと、事故が多いのでこの建物で加入できる保険は2年ほど前に廃止になったとのことであった。天気はおおむね良好で、コスミック小屋から登る場合、モンモディの斜面は危険なところがあるが、その他は大丈夫だろうとのことであった。
合わせて事前にネットで調べてみたが、近年モンブランでは事故が多いので、グーテ小屋からのルートは警察が登山者の装備をチェックしており、宿に予約がないものは登山できない仕組みになっているようだ。グーテ小屋は予約はいっぱいで、コスミック小屋は空きがあるようだが2日前までに予約が必要とのことであった。
まもなく待合わせ時間になり、S前部長たちと待ち合わせの予定の教会前の広場で無事待ち合わせできた。初めてシャモニーへ来たときは右も左もわからず、苦労したが、こんな風に海外の一角で待ち合わせができるようになるとは。。。
さて、3人がそろったところで、今度は観光協会でもモンブランの情報を収集した。天気予報を見ると天気は良好のようだ。高度順化の日とアタック日はすんなり決まり、日本語相談ができるベルナデットさんにお願いして、コスミック小屋の予約を取ってもらった。
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タキュルの山頂より登ってきた方面 |
高度順化の日。ミディからコスミック小屋の下を経由してタキュルを日帰りで往復した。雪が締まっており、なんだかんだ言って自分も成長したのか、初めて来たときは通過に時間がかかって、怖いと思った斜面もなんとも感じないほど順調に動くことができた。快晴で景色もいい。個人的には先にスイスに入国し山に登っていたのもよかったよ
うだ。
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タキュル山頂 今回のメンバー |
そして、モンブランのアタック前日。この日も予報通り快晴だった。天気も雪の斜面の状態もよく、これで登れなかったら、技術不足で登れないのだろうなと思った。
この日はコスミック小屋へ宿泊し、夜出発することになるが、満床に近い人が宿泊し翌
日アタックすることが分かった。私たちは、お昼、小屋にあまりにも早くついてしま
い、窓からの眺めを堪能してもなお時間が有り余ってしまい、トランプなどをして時間
をつぶしたが、トランプはS前部長が圧勝だった。
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ミディへ向かうゴンドラの車窓から
美しいアルプスの美しい山並みが見えた
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アタック当日。まだ月明かりの中、ヘッドランプを付けて登った。昼間に溶けた雪面の
雪が寒さで氷のように固い。
深夜0時を過ぎたころから準備をはじめ小屋の朝食を口にして小屋の内外で登山者の準備
が始まった。
私たちも、登山者軍の中に混じり予定通りに出発したが、先行者のヘッドライトの列が
すでにモンモディの壁を登っていることが分かった。
順調に進んでいくとモンモディのコルに上がるところが崩れて凍っており、登れる箇所
が限られており、登山者で渋滞となっていた。アックスで氷をたたきまくるパーティに
よりテニスボール大の氷がバンバン降ってきてそちらが危険な状況だった。
そして待機の時間中、氷の斜面の途中で、前が停滞してたまま、ロープワークワークが
できていないOさんの下でロープワークの説明やロープの回収作業などをしていた私は、
ようやく先の登山者が進んだので右足を上げようとしたところ、アイゼンが斜面に刺
さったまま、靴から外れてしまった。当たり前だが、アイゼンの付いていない靴では
、斜面を登れなかった。
スペインのチームがすぐ下に登ってきたため私が落ちたら国際問題に発展する事故に…
なんて考えていたら恐ろしくなった。しかし、すぐ下のスペインチームのリーダーがそ
んな状況を察してくれ、「俺の足に足を乗せろ」と言って、ささっとアイゼンのひもを
を直してくれた。心から感謝した。無事コルについたときは不覚にも泣いてしまい、気
力と体力を消耗してしまった。
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モンブランへ登る過程の中盤に朝日が!
照らされる山はピンクだった
(いちごクリームケーキだよ)
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その先は、記録は割愛したい。とにかく山が大きくひたすらつづら折りに登っていった。
その他詳しくはS前部長の「山と元太」の記録に書いてある。
とにかく朝日に照らされるモンブランを見ながら山頂を目指した。
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モンブラン山頂 |
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モンブラン山頂から登ってきたモンモディ方面
K先輩のピッケルとともに
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私は正直登っている途中で、もうここまでいいかなと何度か考えてしまい足を止めてしまった。1人だったら下山していただろう。あとから考えるとそれは不眠と高山病の影響からかと思うが、なんとかS前部長の励ましもあり登頂できた。
山頂はまん丸の雪原で、標識などなかった。山頂には20メートル以上の雪が積もっていて本当の山頂は雪の中らしい。
ここでもまた、K先輩と登りに来たかったなと、涙がでてしまい体力と気力を消耗してしまった。脳を使うには酸素が必要だが高山では酸素が薄いため酸素を消費する脳へのストレスは厳禁だ。気持ちを冷静に保つことは登山に重要な要素なのだ。
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帰りに振り帰って見上げたモンモディのコル下
帰りはえぐれて緩んで下りるのが大変だった
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最後にまとめの感想だが、モンブラン(標高4810m)は大きかった。今回は雪が締まっているので歩きやすくはあったが、コルからの登りはただひたすら長く続く単調な登りで気力と体力が必要だった。斜面をつづら折りに登っていくのだが、見える範囲で10往復登ればつくかと思ったら、10往復したところでさらに先に10往復のつづら折りが見えるといった感じだ。
数年前、2回目の挑戦のとき、モンモディのコルの手前で撤退することになり悔しい思いをしたが、そこから登らないと判断したことは正解だったと、ようやく自分の中で納得できた。また、1回目の挑戦の時の猛吹雪を思い出し天候や気候など運もあるのだと思った。今回あまり経験のないOさんことも登頂を果たしているが、もし以前挑戦したときの気象条件だったらに一緒に登ることはなかっただろう。そんなものなのだ。
記録:H